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2010年4月14日水曜日

内田樹氏・ブログより

http://blog.tatsuru.com/

申し訳ない だが、人間が「ほんとうは何ものであるか」という ようなことはどうでもよろしいのである ようなことはどうでもよろしいのである。 どういうふうな人間だと「思われたいか」を軸に記 憶も、コミュニケーションも構造化されている 憶も、コミュニケーションも構造化されている。 ほんとうは邪悪な人間なのだが、ひとから「善人 だと思われたくて、必死に善行を積んでいる人は みなし、善人」である 私はそれでよろしいと思う ほんとうは善い人なのだが、自分が善良であること にすっかり満足して、善良であることを証明するた めの努力をしないので、外形的にはきわめて不愉快 な人物(けっこうたくさん、いる)は「みなし、厭 な人」である な人」である。 そして、社会は「みなし」を軸に展開する、という ことでよろしいのではないかと私は思っている ことでよろしいのではないかと私は思っている。 というわけで重ねて申し上げまするが、対談およびインタビューのゲラは「データ」で送ってください。ほとんど全部書き直してしまって、原型をとどめませんが、如上の事情をご諒察の上、どうかご海容願います。

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