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2010年4月13日火曜日

贈与について。

ブログ・「内田樹の研究室」より
http://blog.tatsuru.com/

鳩山首相が掲げた「友愛」という政治原理は「弱肉強食優 勝劣敗」という競争原理に対する補正として対抗価値とし て意味をもつのであり、それ「だけ」を取り上げて可否を 論じてもはじまらない というようなことを平川くんも私も考えている いずれにせよ、人間社会の起源が「競争」ではなく「共 生」から、「交換」ではなく「贈与」から始まったという ことの順序」だけは忘れてはいけないと思う 経済活動の起源にあるのは、沈黙交易であるが、これは 私は見知らぬ人から贈与を受けた」という自覚から始ま る たぶん事実のレベルでいえば、それは贈与ではなかっただ ろうし、原理のレベルで言えば、贈与である必要はない たまたまそのへんに転がっていたものを「自分あての贈り 物」と「勘違い」した人間の出現が経済活動の「最初の一 撃」だったからである 自分あての贈り物に対して反対給付の義務を感じたことに よって親族も、言語も、経済活動も、すべては始まった だから、世界の起源にあるのは、厳密に言えば「贈与」で はなく、「贈与されたので反対給付しなければならない という「負債」の感覚なのである 主体は何よりもまず「他者に対して有責者として、『一度 も現在になったことのない過去において負債を負ったもの として』、その存在を基礎づけられる」というのはレヴィ ナス老師のお言葉であるが、老師が述べられているのは レヴィ=ストロースがコミュニケーションの起源について 語っていることとそれほど違うわけではない 贈与=被贈与の構造は信仰の起源でもある 神が世界を創造した」という説話は、被造物はまず「贈 与の受け手」として登場したと教えている 人間が神さまにむかって「世界を創造してくれませんか 創造してくれたら代価として『信仰』してみせます」と交 渉して世界は始まったわけではない 平川くんは「親子」を純粋贈与の一典型として示している が、親族も、コミュニケーションも、経済活動も、およそ 人間的活動のすべては「私が存在するために(私が存在し 始めるに先んじて)受けた贈与に対する反対給付の義務 によって構造化されているのである というような話をふたりでわいわいする 一段落して、平川くんと中島社長が帰ると入れ替わりに奥 さんと光嶋くんが登場 晩御飯を食べながら、道場設計図の第二案を検討…